そこにドルマント大司教が割って入った。
「陛下にはまことに申し訳ないが、アニアスは教会に対する罪を犯した男です。先にわれわれに渡していただきます」
「どこかの僧院に閉じこめて、残る生涯を祈りと聖歌に明け暮れさせるために?」エラナは目に侮蔑の色を浮かべた。「わたくしはもっとずっと面白いことを考えています。もしわたくしがアニアスを手に入れたら、教会に引き渡したりはしません。少なくともあの男を処刑するまではね。そのあとでしたら、残骸をお渡ししても構いませんけれど」
「そこまでです、エラナ」ドルマントがきびしい声を上げる。「あなたは公然と教会にたてつこうとしている。そこまでにしておおきなさい。実際問題として、アニアスを待っているのは僧院などではありません。教会に対してあの男が犯した罪は、杭に縛りつけて火焙《ひあぶ》りにするに足りるものです」
二人が睨《にら》み合うのを見て、スパーホークは内心でうめき声を上げた。
と、エラナがいささか恥ずかしそうに笑いだした。
「ごめんなさい、猊下。少し結論を急ぎすぎたようだわ。火焙りとおっしゃいました?」
「いちばん軽くてね、エラナ」
「もちろんわたくしは聖なる教会の決定に従います。反抗的だなどと思われるくらいなら、死んだほうがましです」
「教会はあなたの従順さを喜ぶでしょう、娘よ」
エラナは敬虔そうな顔で両手を合わせ、見せかけだけの悔恨の笑みを浮かべた。
ドルマントは思わず笑いだしてしまった。「とんでもない娘っ子だな、エラナ」
「ええ、猊下。そう心がけておりますの」
ウォーガンが他国の王たちに声をかける。
「諸君、これはとても危険な女性だぞ。行く手をさえぎったりしないように、特別な注意を払うべきだ。よろしい、次は何かな」
エンバンは椅子の中で身体を滑らせ、楽な姿勢になって太い指の先端をつつき合わせた。
「総大司教問題に最終的な決着をつけるという点では、われわれは多かれ少なかれ合意していました。陛下がまだ聖都に入城する前のことです。軍勢をラモーカンド中部へ向かわせるには、なおしばらく時間がかかるかと存じますが?」
「早くても一週間、たぶん二週間はかかろう」ウォーガンが答える。「隊列はアーシウムまでの距離の半分くらいまで延びておるのだ。大半は落伍者と、物資運搬の荷車だがな。それをきちんとするにはかなりの時間がかかるし、そもそも軍団が橋を渡るときには、かなりの混乱が起きるだろう」
「十日間の余裕を差し上げます。隊列の立て直しと荷車の整列は、進軍しながらすればいい」
ドルマントが言った。
「そういう具合にはいかんのだよ、猊下」
「今回はそれでいっていただきます、陛下。行軍中の兵隊というのは、歩く時間よりも待ち時間のほうが長くなりがちです。その時間を有効に使えばいいのです」
「兵隊はカレロスの街に入れんほうがいいじゃろうな」オーツェル大司教が口をはさんだ。「市民はほとんど逃げてしまったから、街には誰もおらん。兵隊たちが空っぽの家を覗《のぞ》いて歩くようなことにでもなれば、行軍の始まる時間までに呼び集めるのは容易なことではなかろう」
「ドルマントは聖議会議長の地位にある」とエンバン。「明日の朝一番で議事を始めることにして、わが同僚たちが新市街へ出て行かないようにするのだな。もちろん本人たちの身の安全のためだ。マーテルの傭兵の残党が、まだ廃墟の中にひそんでおらんとも限らん。議事が公式に始まる前に、ブラザーたちが自宅の損害を確かめたりしないようにするという効果もあるがね。相当数の大司教たちがわれわれから離反しているはずだし、たとえアニアスが失脚しても、かつての支持者たちの一時的な同盟で議事が混乱するのは困る。議事に入る前に、何か礼拝のようなことをやったほうがいいだろう。厳粛な、感謝の礼拝のようなものを。司祭はオーツェルでどうかな。われわれの側の候補者となるのだから、全員によく顔を見せておいたほうがいい。そうそう、ときどき笑顔を見せるのを忘れんようにな。正直に言って、その顔はいかめしすぎる」
「わしの顔はそれほどきびしいかね、エンバン」オーツエルはかすかな笑みを浮かべた。
「完壁だ。鏡を見てその笑顔を練習するんだ。慈愛あふれる、やさしい人間に見せんとな。少なくともみんなにはそう思ってもらいたいのだ。玉座に就いてからどう振る舞うかは、あなたと神のあいだの問題だ。それでは、と――礼拝によって議員たちは、自分がまず第一に聖職者であり、財産の所有は二義的なものだということを思い出すだろう。礼拝が終わったら、まっすぐ謁見室に向かう。聖歌隊長に話をして、大聖堂じゅうに聖歌が響きわたるようにしておこう。ブラザーたちの聖職者意識が高揚するようにな。まずドルマントが点呼を取り、次いで最近の状況を話して聞かせる――全員にことの詳細を知らせておかんとな。街が包囲されてからずっと地下室に隠れている大司教たちのためにもなる。こうした状況では、証人を喚問するのが理にかなったやり方だ。弁の立つ者たちをわたしが選んでおこう。レイプや放火や略奪のおぞましい話を並べ立てて、最近この街を訪れた者たちへの反感を大いに盛り上げる。証人の列の最後に出てくるのが、デレイダ隊長だ。ここでアニアスとマーテルの話していたことが暴露される。同僚諸君にはしばらくざわめいてもらうことにしよう。あらかじめ友人の大司教たちに頼んでおいて、シミュラの司教に対する怒りと告発の演説をしてもらう。そこでドルマントが、この件の審理を付託する委員会の委員を指名する。聖議会には脇道にそれてもらいたくないからな」小柄で太ったエンバンはしばらく考えこんだ。「ここで昼食のために休会としよう。何時間か、アニアスの背信行為のことをじっくりと考えさせてやるんだ。審議が再開されたら、今度はバーグステンが迅速な選挙の必要性を訴える。ことを急いでいるように見られてはならんぞ、バーグステン。信仰の危機が宣告されていることを思い出させればそれでいい。そしてすぐに選挙の手続きを開始するよう提案する。鎧を着て、斧を持っていくことだな。今が戦時だということをはっきりわからせてやるんだ。そのあとは伝統になっている、イオシア各国の王の演説だ。気分の盛り上がるやつをお願いしますぞ。戦争の悲惨さを強調し、オサとアザシュの邪悪な計画を弾劾するようなものがよろしいでしょう。ブラザーたちをじゅうぶんに脅して、やましいところのない投票をさせたいと思いますので。裏通路でこそこそと駆け引きをして、互いに取引するような投票では困りますからな。わたしから目を離すなよ、ドルマント。どうしても政治的な駆け引きから足を洗えない大司教たちを嗅《か》ぎ出して、そっちに知らせるようにするから。議長というのは、発言させたいと思った者を誰でも指名できる地位にあるんだ。それに休会動議をことごとく拒否することもできる。せっかくの勢いを殺されてはならん。ただちに候補者の指名に入るんだ。ブラザーたちが欠点をあげつらったりしはじめる前にな。とにかくさっさと投票を済ませて、日が沈むまでにオーツェルを玉座に就けてしまいたい。それからオーツェル、あなたは議論のあいだ口をつぐんでいてもらいたい。あなたの意見には、論争の火種になるかもしれない部分がある。それを表に出さないでもらいたいのだ――明日だけでいいから」
「自分が子供のように思えてきた」ドレに皮肉っぽく声をかけた。「政治というものを少しは知っているつもりだったが、これほど情け容赦なく政治の技術が駆使されるのを見るのははじめてだ」
エンバンがドレゴス王に微笑みかけた。
「ここは大都市ですからな、陛下。これがここのやり方なのですよ」
極端なほど信仰心に篤《あつ》く、子供のように純真に聖職者を信じていたペロシアのソロス王は、聖議会を操るためのエンバン大司教の冷徹きわまる計画を聞きながら、何度となく失神しそうになった。やがて王はとうとう席を立ち、導きを得るために祈らなくてはならないとつぶやきながら部屋を出ていった。
「明日はソロスに気をつけていてくれ、猊下」ウォーガンがエンバンに言った。「あれの信仰はヒステリックだ。演説のとき、ここでの話を暴露しようとするかもしれん。ソロスは年じゅう神と話をしているが、そんなことをすると人間は、ときに知性に曇りを生じる。ソロスに演説をさせないようにする手が何かないかな」
「合法的な手はありませんな」とエンバン。
「あとでソロスと話をしてみよう、ウォーガン」オブラー王が言った。「説得して、明日の議事には気分が悪くて参加できんことを納得させられるかもしれん」
「わかった。余が気分を悪くさせてやろう」ウォーガンが小声でつぶやいた。
エンバンが立ち上がった。