子供達が帰っていった後、美濃吉はこころから詫びた。その美濃吉に、鷹之助は気を静めていった。
「美濃吉さん、弟さんの気持ちが分かったような気がします」
「弟の気持ちですか」
「はい、弟さんは、農家の次男の身を憂えて家を飛び出したのではないような気がします」
「と、いいますと」
「あなたは、弟さんが大好きでした」
「兄ですから、当然だと思いますが」
「あなた方は、兄弟喧嘩をよくしましたか」
「いいえ、ただ一度も」
「そうでしょうね、喧嘩しようにも直ぐにあなたが折れて、弟さんの機嫌をとったはずです」
「はい、そうでした」
「それがいけないのです」
「喧嘩をしなくてはいけないのですか」
「そうです、私の兄は、私の面倒をよく見てくれました、だが、可愛がることはなく、機嫌取りもしませんでした」
「喧嘩はしたのですか」
「はい、いつも泣かされていました、親たちも、兄弟喧嘩に干渉しませんでした」
鷹之助は、子供の頃の兄三太郎を思い出して、続けて言った。
「当時は兄に憎まれ口も叩きましたが、今は兄を尊敬しています」
「兄弟仲が良いのが家出の原因ですか」
「そうではありません、いつも気持ちを抑えていたのが家出の原因だと思います」
鷹之助は、この弟は突発的に家を飛び出したのではないように思えた。無一文ではあったろうが、ちゃんと計画を立てて家を出て行ったのに違いない。
親に内緒であるから、無宿者同然である。と、すれば、あてはやくざ渡世に身を置いたのだろう。今では一端の渡世人になっているか、鉄砲玉として親分や兄貴分の罪を被って処刑になったか島送りになっているかである。
「その辺から、探ってみましょう、弟さん歳は十八歳ですね、お名前は」
「はい、須馬八です」
「珍しいお名前ですので、案外早くみつかるかもしれませんね」
「そうあって欲しいです」
おとな気なく怒ったりしたので、なんとか見つけてやりたい鷹之助であったが、弟は上方に居るとは限らない。だが、渡世人ら、銭を持たずに出たことから上方に居るに違いない。天満塾の休みの日にあわせて、鷹塾も休みとし、朝早くから大坂(今の大阪)の任侠一家を尋ね歩いた。
「池田の須馬八 聞いたことあるような、ないような」
鷹之助、顔には出さぬが、一番癪に障る答えである。
夕暮れ迫る刻になって、漸く良い返事が返ってきた。
「ああ、あの小僧か、知っとります、二年ほどここで
數學M2 飯炊きを手伝っておりましたが、江戸へ行くと言い残して、ぷいと出て行きました」
「有難う御座います、十歳までは生きていたのが分かりました、江戸の知り合いに手を回して捜してもらいます」